
意見を述べる
社会学の世界で、大衆とは、非合理的な(衝動や感情や気分にもとづいた)判断を下して無責任な行動をする非対面的な(会ったこともない)人々で、主体性の喪失と非合理主義が特徴、なんだそうだ。ではまずは、試しに非合理的な(衝動や感情や気分にもとづいた)判断をしてみよう!
…当然、小論文としては不合格だ(笑)!
今日、処分する成犬は30頭である。 伸生はその犬たちが入っている犬収容室の誘導通路の扉を上げた。 すべての犬が入ったのを確認すると、伸生はボタン操作で処分機の扉を下からゆっくりと上げた。
やがて、くもっていたモニターが徐々に明るくなり、息絶えた犬たちの姿をくっきりと映し出した。 処分機に戻された遺体は、ボタン操作で荷台へと移され、それが今度は上に持ち上げられてトロッコのようにレールの上を通り、焼却炉にたどりつく。そして、荷台の底が開き、焼却炉へと遺体が落ちて行く仕組みとなっていた。
『 犬たちをおくる日 |
この処分場では、1年間でおよそ4000頭の犬が殺処分されるそうだ。
どの犬も、どの犬も、いつかきっと飼い主が迎えに来てくれるって人間を信じ切っているような目をしているんだそうだ。
けど、そんな願いも叶わず、上のような結果になる……。
子犬のうちは可愛かったけど、犬が大きくなって、可愛くなくなったから、って理由でこのセンターに持ってくる飼い主が後を絶たないんだそうだ。
さぁ、受験生諸君!
非合理的な(衝動や感情や気分にもとづいた)判断をしてみよう!
『犬たちが可哀想だ!!』
『すぐに殺すのを止めるべきだ!』
『ひどすぎる!何て人間は身勝手なんだ!愚かな人間なんて存在する意味がない!』
『人間のエゴ、丸出しである!』
『もっと市民が動物愛護の精神を持つべきである!』
『無責任な飼い主こそ、殺処分されるべきである!』
うん。
これが非合理的な(衝動や感情や気分にもとづいた)判断なんだ。
なぜ?
だって、実現不可能なことを言うだけで、何の問題の解決にもならないじゃないか!
そう。
衝動や感情や気分で無責任なことを言っているだけ!!
…どうだ?
そう。
意見を言うってのは、こんなことじゃない。
もっと建設的な話をするの!
例えば、この話でもっとも多い意見(と勘違いした衝動)は、無責任な飼い主を責める類のお話だ。
けど、冷静に考えてみよう!
確かに、無責任な飼い主を1人でも減らすことが出来れば、それだけ、ムダに殺される犬は減るだろう。けど、どんなに犯罪者を逮捕したところで社会から犯罪が無くならないのと同じように、どんなに無責任な飼い主を責めたところで、そういう人たちは決していなくならない!
引用したこの本の著者も書いてるとおり、『かわいそう!』って気持ちだけでは何も解決しない。
つまり、こういう主張は、意見としては意見になっていない、単なる非合理的な(衝動や感情や気分にもとづいた)判断なんだ!
建設的な話ではない。
こんな話の他に、良く『戦争』について例に出したりする。
戦争ってのは愚かな人間の欲望が生み出したものである。だから、戦争をなくすためには欲望をコントロールすべきである。
こんなことを口にする受験生がいるけど、この発想自体、愚かな話だ。欲望をコントロールできないから戦争が起こるんであって、その人間の欲望を無くすことは不可能な話し!つまり、出来もしないことを述べて善人ぶってる“偽善者”の意見に過ぎない!
犬の話も同じ!
無責任な飼い主なんて決していなくならないの!それを理解した上でどうしたらいいのか、それを述べるのが“意見”であって、そんなこともわからない人間だらけだからこういう悲惨な犬たちがいなくならないの。無責任なことをいう人間こそ、共犯者であり、原因(社会悪)そのものなんだ。
そうでなければ、ある漫画のキャラクターを見て『萌え~~!』って言ってるのと同じだよ(苦笑)。
戦争の話で言うなら、人間は欲望をコントロールできないほど弱い生き物なんだ。だったら、コントロールできない欲望を認めたうえで、そこから別の戦争を防ぐ方法を考える、それが建設的な意見。
犬の話で言うなら、当然、無責任な飼い主たちの啓蒙も大切だが、そういう人もいて、いろいろな価値観を持った大勢の人たちがひしめき合う社会の中で、どんな方法を使ったら、犬たちの悲劇を減らすことが出来るかを考える。
そのためには、当然、勉強もしなければ、何もしなければ意見なんて言えない!
法学部の人なら、どんな社会的なことを考えるだろうか?
経済・経営学部志望の受験生なら、どんなことを考えるだろうか?
教育学部志望だったら?
文学部志望だったら?
理科系だったら?
君たちなら、どんなことを考える?
それを問うてるのが小論文の試験だ。
CO2の排出権取引なんて良い例だよね。企業は金儲けしないと潰れる、潰れたくないからCO2削減になんか本気にならない、だったら、CO2削減出来たら儲かる仕組みをつくろう、それで考え出された。欲望や利潤追求を止めるなんて不可能だって前提で考え出された画期的な方法だ。